notes

20171016


映画「パターソン」を観ました。

観終わって帰り道、ひとの深いところにある、水がこんこんと湧き出ている、しずかな場所のことを思いました。

さざ波のような感情の、もっと奥深く内側にあるもの、表現者だけでなく、誰しもが持っている貴いうつくしい場所のことを。

評価や対価とは関係のない、自分が自分を救うものとして、清らかな水の場所を持っていることに、ひとが在ることの希望を感じました。


そして、つながること。

映画のなかで主人公と束の間ことばを交わす、詩がすきな女の子や、詩を書くようにとノートを手渡してくれる男の存在。

それは長くいる友人やパートナーや家族とでなくとも(むしろそれよりも)誰かと深いところでつながる瞬間が、日々のなかでもあるのだと、それはなんだか生きていることのちいさな祝福のようで、勇気をもらうようなものだなと思うのです。

村上春樹さんの小説の、深い深い井戸のなかでつながるような、そんな意味として、感覚として。

水がこんこんと湧き出る清き場所で、ふと誰かと出会うことがあるのだと。


先日ひらいた演奏会で、ずっとその会に参加したいと言ってくれていた友人が(遠くに引っ越したこともあって)幾つかの事情でやはり来られなくて、それでも遠くからこころを寄せてくれて。

その場所にいないけれど、友人の思いはその場所にあったなと思いました。

見守ってもらったような、とてもあたたかな気持ちになりました。


日々のなか、深いところで出会う、そのちいさなひかりを時々の希望として。