notes

20171016


映画「パターソン」を観ました。

観終わって帰り道、ひとの深いところにある、水がこんこんと湧き出ている、しずかな場所のことを思いました。

さざ波のような感情の、もっと奥深く内側にあるもの、表現者だけでなく、誰しもが持っている貴いうつくしい場所のことを。

評価や対価とは関係のない、自分が自分を救うものとして、清らかな水の場所を持っていることに、ひとが在ることの希望を感じました。


そして、つながること。

映画のなかで主人公と束の間ことばを交わす、詩がすきな女の子や、詩を書くようにとノートを手渡してくれる男の存在。

それは長くいる友人やパートナーや家族とでなくとも(むしろそれよりも)誰かと深いところでつながる瞬間が、日々のなかでもあるのだと、それはなんだか生きていることのちいさな祝福のようで、勇気をもらうようなものだなと思うのです。

村上春樹さんの小説の、深い深い井戸のなかでつながるような、そんな意味として、感覚として。

水がこんこんと湧き出る清き場所で、ふと誰かと出会うことがあるのだと。


先日ひらいた演奏会で、ずっとその会に参加したいと言ってくれていた友人が(遠くに引っ越したこともあって)幾つかの事情でやはり来られなくて、それでも遠くからこころを寄せてくれて。

その場所にいないけれど、友人の思いはその場所にあったなと思いました。

見守ってもらったような、とてもあたたかな気持ちになりました。


日々のなか、深いところで出会う、そのちいさなひかりを時々の希望として。

20170629

  

呼吸のワークショップをおえて

呼吸をととのえることは、こころとからだ、内側の調和をつくることなのだと思います。

そして、しずかに向き合うことで、自分のいまの状態を知る。

その気づきこそが、こころとからだを、すっとまっすぐな軸に立たせてくれるきっかけとなる。

気づくことで、自己の治癒は、もうそこからはじまっているのではないかと感じるのです。


自分のなかに、そして自分が付随する世界に、うつくしい調和をつくっていく。

自分をみつめ、感じた感覚を信じて。


「こころしずかで、ひかりある場所に立つ」

ささやかながら、そんな時間やものを手渡すことができたら。

そう願うのです。



あなたが、こころしずかで、ひかりある場所に

立つことができますように。

20170611


自分の経験を通してしか、ものごとははかれない。

そして、それを軸に、思いを巡らすこと。想像すること。身をひたしわかること。

ほんとうに、ひとを深く知りたいと思うとき、

自分を深めていくしかないのかもしれない。

20170519

  

朝、考えごとをしていてふと

「循環させる」ということばが浮かぶ。

ものごとを、水のように循環させる。

とめると水は濁るから、渡されたものは抱えこまずに、つぎに流してゆく。

大切に受けとったものを、別のかたちにして、誰かに手渡してゆく。

流れをつくってゆく。

わたしのできるかたちにして。

できればずっと水が澄むように。

  

表現することばかりでなくてもいい。

手渡す方法は、きっといろんなかたちがある。

20170515

緑がまぶしい皐月。友人から小包が届く。

慎ましくしずかな佇まい。

箱の蓋を開けると、なかからその土地の豊かな恵みがあらわれた。

ひとつひとつ大切に新聞で包まれた、小玉葱、茗荷茸、大蒜、スナップエンドウ、絹さや、サラダ菜、グリーンリーフ、カモミール。

そして、今日うまれたばかりという玉子がひとつ。

玉子でつくったちいさなメレンゲ菓子も。

野菜とともにあふれる、健やかでやさしく力強い空気をふわりと感じた。

「全部わたしの畑で採れたものです」

手紙(とても彼女らしいスタイルの手紙)にそえられたその言葉に胸がいっぱいになる。

豆類と大蒜はパスタに、茗荷茸は汁ものに、玉子はサンドイッチに、

そしてサラダとハーブティーにと、みずみずしさを逃すまいといそいそといただく。

その野菜を口にすると「食べている」というその感覚が普段とまったく違っていることを感じる。

おいしい、という言葉ではとても追いつかない、まるで「ひかり」を食べているようなそんな感覚になってくる。

ああ、食事とはほんとうに、エネルギーをいただくことなのだなと、あらためて強く思う。

ちいさな場所からうまれる、まだ決して多くは採れないであろう大切なものを手渡してくれたことに、こころがあたたかくなる。


彼女が土に立つ、その姿を想像する。

正しいとか正しくないとかにとらわれない、感覚をひらいた彼女らしいやり方で、

空と土と種と対話する姿。

内側に向かいながら、外に解放されてゆく気持ちよい風がふく世界。

ちいさな種の無限のひろがり。

きっと、とてもうつくしい世界。

その場所にずっとひかりがそそがれることを、こころから願うのです。

20170430


センダンの新芽がのびやかに風にゆれる。

鼻さきにはカラタネオガタマの花の香りも甘くとどく。

 

木がゆれる、風がふく、雲が流れる、ひかりがそそぐ。

自然によりそって、風景をみつめ、気持ちをむけてみる。土や草にふれてみる。

ぎゅっと糸が絡まったようなこころも、やわらかにほぐれる。

すこしずつ、気持ちが外にひらいてゆく。

ひとの言葉や行動も自然のようなものなのだと思うと、しずかにとらえられる気がする。

風がつよい、雲がやわらか、ひかりがあたたか・・・。

そんな風にみつめると、感情をゆさぶられずに(もちろんゆさぶられることもあるのだけど)、すこし距離をもってそのことをうけとれる。

期待することもなく、なげくこともなく。よい意味で。

今日は雨が降っている。ああ、そうなのだ。としずかにおだやかにうけとることができる。

雨もまたよい、と思える時もある。

ひとも日々刻々とかわってゆく。会うたびに風景のように、あたらしい気持ちでみつめてみる。


青い空が気持ちよい1日。

あしたはもう5月。

遠くの友人に宛てた手紙は、きっとあした届くだろう。

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