notes

20190809

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ついこのまえ梅雨が明けたと思っていたけれど、もう立秋。

夏は、ほんのつかのまだとあらためて。

今年はいつになく、夏のひかり、その影の強さに見惚れる。

ひかりはよりいっそうきらりとひかり、影は漆黒の深さに在るように感じる。

いつもは暑くて辛いなと思うのだけれど、日中ひかりに包まれた樹々の濃い緑も、蝉の声にかさなるようにしずかに降りてくる夕暮も、しみじみと胸にせまり、夏はうつくしいなと感じている自分がいる。

いくつかの夏の記憶がかさなって、あたらしい夏のいまが立ちあがる。

大切なこのときだけの夏。


季節が刻々とかわるように、ひとも刻々とかわっているのだ。

自分の内も外ももちろん、日々あたらしくうまれたものとの出会い。すべて。

あたらしいものとの対面は、よろこびと、驚きとともに、その変化に慣れないことにひどく戸惑うことがある。

世界は、見方を間違えると、変化も、戸惑いも、気づきも、とても苦しくなってしまうことがあるけれど、それでもいつでも、こころしずかに、そこに在るものを微細にみつめ感じること。

微細にみつめると、それは親密で、怖れることはないのだと教えてもらえる。

いつでも、この世界はうつくしいのだということを、忘れずにいたいと思う。

わたしもその一部で在れたらと願う。



(バラを植え替えた)