notes

20200703

20200703


細かいことに繊細な目を向けて生きることだ。

季節の花、石に落ちる水の音、暮れなずむころの気配などに。

そうすることで自分が大きくなれるからではない。

自分を超越する者と調和して生きられるようになるからだ。


『茶の本 The Book of Tea』岡倉天心



お茶にまつわるできごとがすきである。

お茶さまざま、コーヒー、紅茶、そして台湾茶にも、それぞれにそれぞれのたのしみがある。

道具もさることながら、煎れる行為と居る場の空間とお茶がつくる佇まい、香りと味わいが連れてくる遠くにある風景が、ひとつになるひとときである。

すべてが層となりかさなって、こころに、からだに、沁み渡ってゆく。内に広がる余韻をあじわう、しずかなよろこびである。

お茶を飲むことは、単純に気持ちを切り替えてくれる作用があるが、ほんとうにおいしいお茶は、澄んだ気を巡らせ、あたらしい感覚をひらき、こころの奥にある水が、ふたたびしずかに湧くような、そんな感覚を覚えることがある。お茶が呼び水のようになって。

お茶の木の育った土地や、木がこれまで過ごした時間のなかでの経験と記憶、そして丁寧に作ることにたずさわったひとたちの思いなども、深く遠く、巡らせる時間。

自然や植物のエネルギーを水に写し、うけとる時間ともいえる。

ゆっくりすごせるときはもちろん、ほんのつかのまであっても、日々のなかで、お茶を煎れる、お茶を飲むというのは、とても大切で豊かなことだ。

いまのような梅雨時に、香り高い茉莉花茶、白茶、こっくりとした老熟普洱茶、あたたかなお茶がかわらずおいしい。そして、すっきりとした苦味と甘やかさのある緑茶を水出しでキンと冷やして飲むのもよい。

好みの中深煎りのコーヒーはいつのときでも。